昭和50年04月03日 朝の御理解
御理解 第84節
「おごりがましいことをすな。ものは、細うても長う続かねば繁盛でないぞ。細い道 でも、しだいに踏み広げて通るのは繁盛じゃ。道に草を生やすようなことをすな。」
今朝の御祈念に、お野菜の蓮根を一本頂いた。特に節のところに黒いモジャモジャ毛の生えたような所があるでしょう。あそこの所を印象的に頂くんです。そしたら今日八十四節の所を頂きましたから、それとこれとを頂き合わせながら、思わせて頂くのですけれども。細うても長う続くと言う事は、しかもそれが次第に踏み広げて通るのが繁盛じゃとおっしゃるのですから。
去年よりも今年と少しずつ、矢張り増しなおかげになって来なければならない。けれども去年よりも今年というには、次第に踏み広げて通ると言う事は、平穏無事のままずっと広がって行くという意味じゃないと思うです。矢張り節があると言う事。特に節の所はあれは役に立たない汚らしい。食べるに致しましても、節の所だけは役に立たない所、黒くして何かモジャモジャしてる所ですから、けれどもそこを大事にしていかなければ、次の大きな節になって行かない。
私は踏み広げて通るというのは、また細うても長う続くというのは、そういう節を大事にしながら、節から折れる事なく続けると言う事が、繁盛に繋がる事だと思うです。踏み広げて行く事に繋がると思うのです。例えば今日は御本部参拝ですから、今日の夕方から発ち、四日のご大祭を頂く訳です。いうなら椛目合楽を通してから合楽の場合は、少しずつではあるけれども、踏み広げて通っておるような感じがするです。御本部参拝には様々なところがありました。
椛目の時代に月参りさせて頂いておると、皆さんも御承知でしょうけれども、必ず汽車の中で何か事件が起こるのです。絶対というていい位でしたね。近所に乗り合わせている人との変なことから、何かしらん争いのような事になったり、必ずでした。それが段々おかげを頂いてあぁ今年はないなぁ、今度はなかったなぁと言うておると、九州に帰りがけ入る所から問題が起こったりしてました。一番最後には、博多から鳥栖までの間に問題が起こった。それが最後でしたですね。
それは皆さんも覚えておいでの通りだと思うです。あの時分に御本部参拝した人は。それ以来、問題らしい問題というのは起こらなかった。と言う様に私共は御本部参拝一つにしてもです、いろんな問題を乗り越え乗り越え、嫌な事です不愉快な事です。例えばその当時二三十人ぐらい月参りしてましたでしょうか。本当に信心者同志楽しゅう和気あいあいの中に旅行さして頂いとる、御本部参拝させて頂いとる中にお酒を飲んだ人が酔狂まわすような事で因縁をつけて来ると言ったような問題でした何時も。
ですから考えてみると、如何にその事が、神ながらな事であったかと言う事を、今にして思うのです。やっぱり通る所を通って来ておるというのである。そして段々三十名が四十名になり四十名が五十名になり。最近では百名今度は申し込みは百名でしたから、締切りましたけれどもやっぱり少しはオ-バ-致しました。丁度三四名オ-バ-しただけ余所の教会に申し込んでおった所が、お参りがないというので困っておられたから、合楽の方をこちらへと言う様な事でおかげを頂いておると言う様に。
少しずつではあるけれども、御本部参拝の人数でも、段々段々踏み広げて行っておるという感じがします。様々な問題がありました。その問題を踏み越え乗り越えさせて頂きながら、繁盛の一途を辿らせて頂いておる。長う続いておる。この前のお参りの時には多かったけれども、今度は少なかったと言う事がない。それこそ五名ずつでも十名ずつでも多くなって行っておると言う様な感じです。これならば繁盛だと。末広に段々段々広がって行くという事です。
けれども末広に広がっていくと言う事が、只踏み広げて行くと言う事、又は道に草を生やすような事をすなとおっしゃるが、例えば御本部参拝でも、先日も他所の先生が見えて、御本部参拝の話からでしたけれど私は信者さんに、御本部参拝を勧誘した事がない。信者さん同志に、あなたお参りはどうですかと勧め合うてお参りすると言う事はありますけれども、私が御信者に今度はどうでんこうでん御本部に参拝しなさいというて勧誘した事はない。私が勧誘すればいやとは言われん。
否と言われん所に無理がいく。無理がいくと自然の働きのお邪魔になる。それが問題の元になるかもしれん。これは私の流儀ですから、今日は合楽の流儀の様な事をここでは教えておられると思うのです。それは高い所から低い所へ水が流れるようにスム-ズというわけには行かない。それでも度々の御本部参拝という節に、嫌な問題やら嫌な事やら、色々な事がありますけれども、そこを大事にしていきながら、踏み広げて通らせて頂いておる。これは御本部参拝と言う事で申しましたけれども。
お互いの日々の信心生活の上においてもそう。段々信心が分らせて貰う、進ませて頂くに従って、何とはなしに広がっていく所のおかげを頂く為には、結局節を大事にしなければいけないという事であります。節を大事にすると言う事は、その節は今日私は、御神前で頂きました。そこは役に立たない所要らない所、困った事汚らしい所でもありますけれども。そこを私は信心で受けて行くという生き方が。
次の節に進ませて頂く事が出来るおかげだとこう思います。只細うても長う続くという事は、そういう節を通り辿らせて頂きながら、長う続いていく。だからこそ節を乗り越えた所には、次のおかげの展開があると思うです。今日はそういうふうに頂きましたから、特に一日のうちにでも思うて見ると、ここが節だったという様な所がありますです。だからその節を大事にしていく。
私は青年時代から必ず帳場に、座右の銘を書いて貼っておりました。それは節を大切にして行く人は伸びると。これは確かにそうです。節を大切にして行く人は、必ず伸びるです。信心しよるのにこういう汚い、こういう要らんものがと。その要らんものそのことこそ、実は要るものなんです。と思うてそこを大事にして行く所から、踏み広げてゆく繁盛に繋がって行くと思います。
どうぞ。